独り立ち
昨年秋、独り立ちしたはずの息子が我が家に居候する事になりました。そのときは、またまた家が汚くなるなとか洗濯物が増えるとか、家が騒々しくなるなど、嫌な事しか思い浮かびませんでした。
実際自分勝手なところが多いために、ため息つく事が多かったのです。それがこの春、突然の転勤話で西船橋に行ってしまいました。
息子と完全に離れるのは2度目なので、すぐなれるだろうと思いますが、なんとなく元気が出ない私です。私自身、親元を離れたのは23歳のとき。今の息子と同じ年に最初の結婚をしたのでした。今の息子を見ると、とても頼りなく、私の最初の夫も同い年でしたから、頼りがいがあるはずないなと思います。
思い返せば私はまったくの世間知らずで、初めての結婚をして、私の家以外のおうちがどんな生活をしているのかも、本当に知らないでいました。都営団地に入居したとき、部屋の中に配管がすべて剥き出しになっていて、お風呂や洗面所はコンクリートのまま、何のコーティングもされてなくて、びっくりしました。
庭の草むしりやゴミ箱の清掃など共同作業が多く、それに仕事で参加できない人は、常に非難の的になっていました。その代わり私が妊娠すると、妊婦に対するフォローはものすごく良くされていて、大事にされました。
そういう共同生活のようなものも私は初めてで、少しでも贅沢な暮らしをしている人がいると、それも非難の的になり、少し息苦しい気がしました。
その後、初めての地方転勤もあって、ガス器具がその土地のものでないと合わないことや、テレビのチャンネルが関東と東北では違う事にも驚いたものです。福島県の郡山が最初の転勤地でしたが、そこでの暮らしも、子供達がうようよいる団地のようなところだったので、ご近所付き合いでかなりくたびれました。
自分の子供が我が家にいなくても、必ずどこかの家の子が部屋の中で遊んでいました。昼は毎日ようにどこかの家で、みなが集まって食事。そこにいない人のうわさや悪口が飛び交っていました。
私は、母から人の悪口はその場にいるだけで、自分が言った事にされるから注意しなさいと言われていたので、「そういうことは言うのをやめましょう。」と言ってみたのですが、そうしたら今度は私が非難の対象になって、ひどい目にあいました。次が岩手県の盛岡市でしたが、経験したことがない寒さで、北の地方での生活の厳しさを思い知りました。毎晩、水道管の中の水を抜く作業があり、夜中にお手洗いに行くときは、大変でした。
雪の重さで、車の天井がへこんだり、寒さで窓が開かなくなったり、圧雪凍結した道路を歩く事にも苦労しました。北側の駐車場はいつもスケートリンクのようになっていて、ツルハシを買って氷を割り、道を作らなくてはなりませんでした。
それでも盛岡では、ご近所の方々も皆さん良い方で、その氷割りも手伝って下さいました。地方ならではのお祭りや行事がたくさんあって、ものすごく好きな土地になりました。ベランダからは岩手山が見え、北上川はすぐ下を流れていました。盛岡は私の第二の故郷です。其れから東京へ帰ってきて、離婚が成立するまで悶々として、子供を抱えて一人親家族になって、勤めに出ました。離婚をすると、冷たい目でみられることが多く有りました。子供がいない方から、「子供がいるのに離婚するなんて、信じられない」と言われたこともあります。
人から言われなくても、自分自身良くわかっている事。人の心の奥まで考えずに、土足で入り込み批判する。簡単な事ですよね。苦労して自分自身が心の痛みを感じてきたからこそ、他人の心の痛みも理解できる。人間には苦労を乗り越える事が必要だと思います。
親に守られて、世間知らずだった私を今思い返すと、頼りないだけでなく、とんでもなくわがままだったなとも思います。娘の頃はレトルト食品を食べる事もなく、ファミリーレストランにも入ったことがない生活でした。それが結婚したと同時に、寒い冬でも灯油代の捻出に困って、昼間は服を着込んで我慢をしました。
アパートの下の階に住んでいた方が、生協で安く灯油を買えるからと、親切に一缶買っていただけたのですが、その後買わないので、「どこで買ってるの?」と聞かれ、「お金が無いから買ってないの」と答えました。それからその方にすごく親切にしていただき、漬物を戴いたりよく一緒にお茶を飲みました。
勤めに出ても女の職場なので、色々陰湿ないじめがあり、よく耐えたものです。私は中途入社で、一緒にパートで入社した人の中で、私だけがパートから一人だけ正社員になりました。時給が上がったり、正社員になったり、有名ブランドに配置され、制服も一人だけブランドのものを着ていたので、何かと目立ったのでしょう。自分に全く関係の無い部署の人からも、よく嫌みを言われました。子供を抱えていたから、どんなにいやな目にあっても我慢が出来た、堪えられたという気がします。
そういう色々な体験があって、やっと今の私がある。まだまだ女将としては、頼りなく、いたらない所だらけですが、今までの大変な思いに堪えてきたからこそ、なんとか持ちこたえているのです。かなりストレスも多くて体を壊しもしましたが、私は、昔の世間知らずの自分が好きではありません。
息子もきっと、これからが正念場だろうと思いますが、頑張って大きく成長して欲しいと思います。紋屋では、若いお客様が多いので、今の私にとっては、とてもほほえましい思いでお見守りしています。紋屋に新婚旅行でいらっしゃる方や、小さいお子様連れのお客様の子育ての話、共働きの話、妊娠中の辛さなど、お話がいろいろ弾みます。中にはメル友になるような方もあります。年配のお客様の中にも、私の第3の母になって頂いているお客様もあり、そういう意味では接客の仕事によって、私は自分の世界が広がっているかもしれません。
辛い事も、きっと自分のなかで良い経験となり、成長できる機会となっている。女将業はなかなか他では経験できない仕事だから、これからも自分の体に、たくさんの引出しを作っていこうと思います。今日は、独り立ちした息子を見てちょっと昔をおもいだしてみました。
もうすぐ春爛漫の季節ですね。・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
◆素顔の女将◆
パスワードを数字で入力しようとした、シロクマ好きな家内は、「シロクマ」を数字に置き換えようとして、4(シ)6(ロ)9(ク)まで入れたが、「マ」が考えつかず、挫折していた。と思ったら、携帯電話の「7」のボタンが「ま」になっているのを発見し、シロクマを完成させたと言う。そこまでやらんでも(^^;)........(by aruji)

ご予約・プラン紹介はこちら