クレームの後に
先日、あるお客様が大変ご立腹なさっていて、「女将は居ないのか。」とおっしゃっていますと係が言ってきました。こういう時は気持ちが引き締まります。何を言われても大きく動揺しないように、どんな内容でも真摯に伺おうと心に決めて、お部屋へ向かいました。フロントでお迎えした時はとてもいい感じでしたし、お部屋へご挨拶ももう済んでいたのですが、特別変わった様子はなかったのに、どうしてしまったのでしょう?何かボタンの掛け違いが起きたのだろうと考えました。
客室係によると、「食事が済んだという連絡がきたのでデザートを持っていくと、ご飯もお吸い物もきていなくてお客様は『もう要りません。』とおっしゃっているんです。私がきっと忘れちゃったんだと思うんですけど、今からでもお持ちしますというのに『もういいです』の繰り返しなんです。本当にそれでいいのでしょうか?」係りも動揺している様子です。ご飯を食べないと、その時はお腹が一杯でも後でお腹がすくこともあるので、小さく握ったおにぎりをお持ちするようにアドバイスしました。
お部屋へ伺ってみると、お客様は最初に自分たちはお酒を飲まないので、先にご飯を持ってくるようにおっしゃったのだそうです。そこでもう食い違いがありました。客室係はいつもの癖で当然後だと決め付けていたようです。お客様がおっしゃっていることを聞いていなかったのです。まず、クレームにおいてもお客様がおっしゃることをとにかくお聞きすることが肝要なのですが、係はのんびりした性格の人でしたので、申し訳ないという言葉の前に「てっきり後だと思ってしまって」と言ってしまったようです。
そこで、お客様は本来ご飯を召し上がりたかったのですから、係が忘れたくせに言い訳をするとは何事か!という事になってしましました。そうなると、他のことまで全て悪く転んでしまいます。いろいろな誤解もあるようでした。しかし、こういう時は何しろお客様がおっしゃることにきちんと耳を傾けること。お詫びすべき点はきちんと謝罪し、しかも心を込めてお詫びすることが基本です。
お客様がおっしゃりたいことを一生懸命聞き出しているうちに、お客様の方でもお気持ちが落ち着いてきたようでした。ご滞在中におっしゃっていただけてよかったと思いました。日常の喧騒から離れ、違った場所で気分を変えたいお客様。日頃のストレスから開放されたくてお越しになったようでした。チェックインのときは、お香の香りがとてもよく気持ちが安らぐと喜んでいらしたのです。
全国に沢山ある宿からわざわざ紋屋を選んでいただいたのですから、何事においてもご期待に添えない場合は、そのご期待に添えなかったことに対するお詫びは申し上げなくてはなりません。ましてご滞在中にお気持ちを吐き出して頂けたのですから、そんなにありがたいことはありません。
お客様は「もう全部言っちゃったから、もう腹の中には何もありません。」とにっこりしてくださいました。とても素晴らしいお客様振りでした。係がご飯の事を忘れたのも、それに対してお客様の納得するお詫びが出来なかったことも、本来情けない話ではあります。しかし本人は「もう迷惑をかけるから、係は辞めたい。」とすっかり落ち込んでしまいました。
一生懸命努めているのにそれが伝わらない。それはとても辛いことです。接客業の仕事はそのあたりが難しいのです。お客様のおっしゃる通り、言い訳はしないほうが賢明です。係りはいいわけをしたかったわけでもないのです。状況が直ぐに把握できなかっただけなのです。それがお客様には言い訳をしているように取られてしまったのでした。私は、お客様に対してお詫びに伺うのも、叱られるのも、女将の責務だと思っています。もちろん嬉しいわけではありませんが、私が前面に出ることで収拾がつけば、遣り甲斐もあります。それと、何に於いても直にお客様のお声を伺うことで、お互いに心通じるものが出て来る場合もあります。お客様が何について一番怒っているのか、お客様の立場で思うことに触れるという大切な意味があるのです。
人間は、誰でもミスをします。私も良くみんなに迷惑をかけていると自覚しています。お互い様なのです。店で起きたことは、みんなで力を合わせて修復に努めたいですね。意気消沈する人は、この辛さをばねにしてほしいと思います。
今回は、たまたま素晴らしいお客様ぶりのご夫婦でした。クレームのお客様が直ぐににっこりしてくださったのは、初めての経験でした。販売の世界では良くあることですが、宿泊業でももしかしたら、またお越し頂けることもあるかもしれません。
私たちに反省するいい機会を与えてくれるクレーム、なければ良いというものではありません。お帰りになった後で他の人たちに言いふらすより滞在中におっしゃって頂くことが大事です。ミスはなるべく起こさないようにする。単に気をつけるだけでは、決して少なくならないことを大いに自覚したいです。人間として怒りを覚える時、また許す時それぞれ苦しいです。様々な期待に全てはお答えできません。思い込みや考え違いという場合もあります。しかも聞き入れて戴けないことが多いのも実情です。お客様側の1回の旅に対する思い入れが、こちらのこだわりとかみ合わない事もあるのです。
何事においても心を乱さず、動じないで物事を処理していけたら、素晴らしい生き方が出来るのではないでしょうか。私は、直ぐ小さなことにも動揺し、自分に対しても決められたとおりに出来ないといらいらします。大切なことは、直面していることのみに関わらず、その向こうにある大きい真実を見つけ出すことです。小さなことに振り回されずに、何事にも動じない大きなゆとりを持ちたいです。今年も残り少なくなりました。台風で被害が出て、紋屋にとっても苦しい一年になりました。来年こそ少しは明るい兆しが見えるといいですね。何卒よろしくお願い申し上げます。・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
◆素顔の女将◆
家内と渋谷で待ち合わせをした。携帯電話に「着いた」と連絡が来たので、今どこにいるのかと聞くと、「109(注)の見えるところ」と言う。109の近くならどこからでも見えるんだから、それじゃあ、どこにいるかわかる訳ないだろう!(by aruji)
  (注)109:「いちまるきゅう」東急百貨店系のファッションビル

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